年明けから暦が進み、ふと気づけば、もう三月だ。
今年は気象観測が始まって以来の雪が少ない冬だったそうで、私が暮らす北海道内陸部の景色も例年にない早いペースで春めいてきた。
この時期になると、日本各地の内水面が続々と解禁日を迎え、渓流釣りが本格化する。私のホーム(ヤマメと遡上魚以外に禁漁の設定がない)でも、川面が開いたフィールドに釣り人の姿を見かけるようになった。
いよいよ渓流釣りの戦闘開始。となれば、新しい武器が欲しくなる。釣りが叶わない厳冬期から来るべきシーズンに思いを馳せ、ストーブの前で何度もカタログを眺めて溜息を吐いてきたのだから。
とはいえ、実際に高額な釣り具を購入するとなると、簡単な話ではない。
収入の増加が望めないこの御時世では、生活を支えねばならぬ一家の長の道楽を細君は認めてはくれないだろう。うっかり、新しい釣具が欲しいなどと口走ろうものなら、たちまち、「釣りの道具なら、もう持っているでしょう? 買わなきゃならないものは、他にもたくさんあるのよ」などと、小言の導火線に火がつく。極めて危険な行為なのである。
そんな苦難が待ち構えていても、世の釣り好きお父さんたちは、果敢に挑戦する。
昼食のランクを落とし、煙草を減らし、ビールを発泡酒に変え、日々精進して釣具代の捻出を試みる。それくらいやらないとオール野党の家族は納得してくれない。
他のことは辛抱できなくとも釣りの道具は別。至福の時間を共にする相棒だからだ。
かく言う私もサラリーマン時代、釣り具の購入に苦労した一人。当時はバブル崩壊後で、会社から受け取る給料の増額は望めない。ましてや子育ての時期、とくれば、簡単に細君が許可を出す訳もなし。
それでも諦められない私は、先に書いた作戦を遂行し、猛アピール。ボーナスから、なんとか釣り具代をせしめていた。
そんなこんなで我慢の日々を耐え忍び、やっとこさ本流竿を手に入れた。今は亡き本流のレジェンド、細山長司氏が監修した逸品。だが、購入したのは厳寒期、禁漁期間がない北海道といえども結氷した川には入れない。そんな状況でも嬉しくてたまらなかった私は、帰宅すると真っ先に竿を手にして振込の練習に熱中した。
ここまで熱くなれるのは、何故か?
ハリ、オモリ、テグス、目印、竿、こだわり抜いた釣り具で掛けた魚は、至玉の一本。その喜びは格別だ。新しい竿で初物を釣ると『魂が入った』と云うように、釣り師にとって釣り具は単なる物ではなく、血の通った己の分身なのだ。
道具に精神性を見出し、その価値を究極まで高めれば、そこに新たな趣きが生まれる。実のところ、日本人は世界に先駆けて趣味としての釣りを確立した民族でもある。釣り具へのこだわりは、今に始まったことではないのだ。
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山形県の鶴岡郷土資料館には、庄内藩の林家の古文書に江戸錦糸堀にて荘内藩主の若殿が天保十年(一八三九年)に釣った鮒とされる日本最古の魚拓、『錦糸堀の鮒』が残されている。
当時、釣りは武士のたしなみ、武道の一つだったという。古文書の中に大名が競い合って釣りを楽しんだ記述もある。驚くことに江戸時代の日本では、すでに競技としての釣りが確立されていたのだ。
特に庄内地方では殿様の浜遊びとして、古くから楽しみの釣りが発達してきた。なんと一七〇〇年代の後半には、もう漁と離れた遊びの釣りが確立していたのだ。
やがて武士たちは、武具を作る技術、特に弓の製作工程を竿に応用して、自分たちのこだわりの竿を持参するようになった。これが庄内竿の始まりで、今日、我々が使っている延べ竿の元となる。
文献を紐解くと、キャッチ&リリースまで行われていた記録もあり、それが事実であれば年代的にみてもゲームフィッシングの先駆けは、我国となる。日本古来の釣りを侮るべからず。
歴史的な背景を鑑みると、釣り具を欲する熱情は、日本人のDNAに刻まれているのかもしれない。
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こうして日本の釣りの歴史を書き連ねると、昔から和の釣り具に興味を持っていたかのように見えるかもしれないが、そうではない。
元来、私は西洋かぶれで新しい物好き。なので、中坊の頃はルアーに、高校時代はフライに夢中だった。日本の釣りは古臭いと思っていたのだ。
考え方が変わったのは、仕事先で知り合った米国人と交友を持つようになってから。
「日本人は私の国の文化を知りたがるけど、私が古い日本の事物に興味を持つと、そんな時代遅れ、どこがいいの? と、訝しげな顔で言う。外国人から見れば素晴らしいものばかりなのに、どうして日本人は自分の国の伝統に自信が持てないのか不思議です」
言われてみれば、思い当たる節はある。
鎖国の眠りを覚ました黒船の来航以来、我国は欧米諸国の模倣に明け暮れてきた。それが、いつの間にか文明開化の手本とした西洋文化の崇拝に変わり、日本の伝統を古きものと考えるようになってしまったのではないだろうか。
確かに西洋化は、近代国家を目指す近道だった。それが証拠に、現在、私たちは豊かで便利な生活を享受している。
だが、日本人の根底にあった精神文化を失った代償は大きい。欧米流の合理的な発想だと道具は単なる物なので、必要ならば買い求め、要らなくなれば捨てるだけ。それ故だろうか、近年は釣り場にもゴミが目立つ。ルアーのパッケージや、エサが入っていた袋、まだ使えそうな仕掛けなど、明らかに釣り人が捨てたと思われる物も多い。
道具に愛着を抱く釣り師にあるまじき行為。大量消費社会をさまよう放蕩の民が、これ以上、増えないことを祈る。
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ここで話を本流竿に戻そう。
サラリーマン時代に初めての本流竿を購入した時から、時間を更に遡る――。
かつて存在していた某釣り具メーカーのカタログに始めて長尺の本流竿が登場し、雑誌に大ヤマメと格闘している、故、細山長司氏の写真が掲載された。
それは、私にとって衝撃的な事件だった。誌面に掲載された一枚の写真に、私の眼は釘付けとなる。
〈なんて美しい弧を描くんだ。この竿で大きな鱒を釣ってみたい〉
当時は本流釣りの創成期で、釣り方も含めて情報は無に等しい。しかも本流竿は超高価なので、サンデーアングラーだった私には、敷居の高い釣りだった。それでも思いは萎えるどころか、日増しに強くなるばかり――。
それから三年後、ついに本流竿を手に入れた私は、この釣りを自分のものにすべく川に立った。お手本もなく、ほとんど手探りの状態だったが、思考錯誤を重ねてマスターした。
本流竿を曲げたい。心が釣りを渇望している。
雪代の収まりが遅い北海道でも、例年なら六月初旬には本流釣りの本格シーズンを迎える。ところが、この年は違った。不安定な天気が続き、釣行の計画を立てても中止せざるを得ない日々が続いていたのだ。
そろそろ我慢も限界。釣りの虫が疼いて、仕事に身が入らない。
まだ、川は増水しているのだろうか? 竿が振れるだけでもいいから、釣りがしたい。厳しいと分かっていたが、気づくとホームのフィールドへ車を走らせていた。
〈やっぱり、な……〉思った通り、普段よりかなり水位が高い。いつものポイントが水中に没している状態。
これでは厳しい。だが、このまま黙って帰る気にもなれず、思案の末、上流に向かうことにした。
やって来たのは、車で二十分ほど走った先にある上流域のポイント。ここもかなり増水していたが、とりあえず竿を出してみることにした。
仕掛けを流し続けて三〇分経過したが、アタリは皆無。私は、問いかけても沈黙を守り続ける川に苛立っていた。竿が振れるだけでもいいと言っていたはずなのに、時間が経つにつれて、魚の顔が見たくなる。心の底でとぐろを巻いていた強欲な釣り師の性が、鎌首をもたげた。
〈止めようか? 否、もう少し粘ろう。久しぶりに竿を出したんだから〉
だが、その後もまったく反応が無い。次が最後のポイントだ。
〈今日の水嵩では、これ以上先に進めない。このポイントが駄目なら諦めもつく〉
流れの圧しが強い場所なので、5Bのオモリを二つ足して仕掛けを投入。すると二投目に待望のアタリがきた。
目印が小刻みに震え、竿先に明確な魚信を伝わった。私は手首のスナップを利かせ、しっかりとアワセを入れる。次の瞬間、竿が生き物のようにくねり、大きな弧を描くと、水面に突き刺さったテグスが空気を切り裂き、甲高い唸り声を上げた。ハリが鱒の顎を確実に貫いている。
〈コイツは、デカいぞ!〉
この川の虹鱒は生粋の野生児、それも大物となれば抵抗は半端じゃない。
水面が炸裂し、紅を帯びた華麗な魚体が宙を舞う。その鱒は、着水すると、どうだと言わんばかりに暴力的な引きを私に見せつける。
狡猾な大虹鱒のファイトは変幻自在だ。針掛かりした瞬間から、飛ぶ、潜る、走る――。あらん限りの手管で、釣り師を篭絡せしめんと攻め立てる。
しかし、私には強力な武器がある。大魚が掛かると、本流竿は切れ味鋭い刀に変わるのだ。この名刀は魚が強く引けば大きな弧を描き、穏やかなれば、撓(しな)りは小さくなる。肉食動物の如く、しなやかに、したたかに、獲物を宥(なだ)めすかす。
このやり取りの間、私は延べ竿が描き続ける曲線美に魅せられっぱなし。
ついに虹鱒が水面に姿を現した。勝負の決着がつくと、刀は元の真っ直ぐな延べ竿に戻る。そして川は静寂を取り戻す。
敵は、我が手に落ちた。ネットの中で横たわり、戦いの疲れを癒している。
北海道の清水に磨かれた野生の鱒は、逞しく美しい。いつまでも眺めていたくなるが、そろそろ開放してやらねば。
流れの中に鱒を戻し、躰に手を添えて泳ぎ出すのを待つ。しばらくすると、尾鰭をバタつかせ、上目使いで私に開放を催促してくる。
なごり惜しいが、これでお別れだ。
魚体に添えていた手を離すと、鱒は悠々と水底に消えた。
* * *
今、日本の釣り具は、世界で注目されている。工場で大量生産する時代になっても、職人の手を経たが如く、精緻で美しい。その品質を支えているのは、作り手と使う側の熱き想い。
相思相愛のこだわりがあるからこそ、道具の価値は高まる。日本人の心の奥底にある物への愛情が、釣りの世界を豊かにしているのだ。
余談ではあるが、この春、新たなコンセプトで設計された渓流バリ『忍(しのび)ヤマメ』が発売される。昨年から井上聡氏と私が開発に携わった新製品なので、是非、試して頂きたい。渓流釣りをより面白くする道具となる筈だ。
◆写真DATA
神谷悠山 北海道旭川市在住
物心がついた頃から渓流釣りを覚え、これまでに様々な釣りを嗜んだ。その経験を生かし、メディアで釣りの魅力を紹介している作家、構成作家。得意とするのは、内水面のトラウトフィッシング。自らを欲張りな川釣り師と称し、ルアー、フライ、エサを問わず、ノンジャンルで釣りを楽しんでいる。