Fishing Topics

Blog

【第五話 渓谷が奏でたレクイエム~爆釣劇に隠された破滅の足音~】

文明が目覚ましく発展し、そう遠くない未来にAIが人間を凌駕するとさえ云われる二一世紀の現在、気づけば乗り物や家電、スマートフォンなど、日常的な道具の隅々にまで人工知能が浸透している。
我々の生活は快適になるばかりだが、何故か、この流れを素直に喜べない。生き物である人間がAIに頼りきって暮らす未来に、幸福があると信じられないからだ。アナログ世代である昭和生まれの私には、オート・ドライブなど糞くらえ、愛車は自分で駆るから運転が楽しいと感じる。何かを得るために汗を流すのは、苦痛でなく喜びなのだ。
小市民の私がどんなに拒んでも新しい時代はやって来るだろうが、苦も楽も混在する少々不便な今の世が丁度いいと思っている人は少なくなかろう。
『過ぎたるは猶及ばざるが如し』の故事に倣(なら)い、何事もほどほどが宜しい。環境も然り。自然を人間の意のままに変えてしまえば、やがて生き物は絶えてしまう。その業はいつの日か、食物連鎖の頂点に君臨する人間に仇なすかもしれない。
* * * * 
その日、川は断末魔を上げていた――――。
十勝岳の麓を流れて空知川へと注ぐ川の上流に、地元の人々が『ノロッペ』と呼ぶ深山渓谷がある。悠久の時が刻まれたその渓流の眺めは、絶景にして優美。大雪山系には、神々が遊ぶ庭という意味の『カムイミンタラ』というアイヌ語が残されているが、私の瞼裏にある、かつてのノロッペ渓谷は、まさにその通りの神秘的な秘境だった。

私の少年時代、雪代が収まって川の水が落ち着く頃になるとノロッペ渓谷で大きなエゾイワナがたくさん釣れた。林道の終点から入渓して不動の大滝まで五百メートルほどの区間を遡行するだけで十分な釣果が得られるほど魚影が濃く、生家からそう遠くない場所にあるこの川は、ルアーやテンカラなど、様々な釣りを学ぶ格好の道場だったのだ。
* * * *
イワナの楽園に異変が起きたのは、私が中学二年の夏休みだった。
いつもは父と共に『ノロッペ』へ向かうのだが、その日は忙しくて行けないというので、釣り好きの学友に電話を掛けた。
「もしもし、佐藤くん。暇なら釣りに行かない?」
「いいね。どこに行く?」
『ノロッペ。十勝岳の麓だけど、すっごい釣れるんだよ』
「え……。そういえば宿題が残ってた。それに……。うーん、どうしようかな」
電話に出た友達の返答は、どうにも歯切れが悪い。
理由は、近郊でヒグマの出没が相次いでいたからだった。ましてや『ノロッペ』は、大人もあまり近づきたがらないヒグマの巣。首を縦に振らないのも当然だ。もっともそんな秘境だからこそ、いい釣りが叶うのだ。そのことを強調して誘い続けた結果、友達は折れて釣行を共にすることになった。
道中の商店で友達と合流してから、およそ三時間のチャリンコ耐久レース。おそらく今ならくじけてしまうだろう急斜面を乗り越え、やっとの思いで入渓地点までたどり着いた。

 ペダルを止めて自転車のスタンドを下ろすと、足元の蒸れた草から青くさい香りが立った。
いい天気だ。夏山が陽炎に揺れている。蝉時雨の合間に山鳩が筝曲を奏でる。人間は私たちだけ。ここにある自然の絶妙なバランスが心地良い。
「なぁ、神谷くん、本当にクマは大丈夫だろうな」
自転車を降りようとしない友人が、心細そうに訊ねた。
「お――――い」私は、あらん限りの声を張り上げて辺りを見回し、こう応えた。「昼間は滅多に出ないよ。それに、大声を出しながら歩けば寄って来ないから」と、父譲りのヒグマ対策を友達に教えた。
「本当だろうな……」
「大丈夫だって。それより、早く釣りをしよう」
私とてクマは怖いが、友達を無理やり誘った手前、ここは虚勢を張るしかない。
私が先陣を切って、谷底へ続く獣道を下りて行った。両脇は高い熊笹の藪の壁、警戒は解けない。大声を出しながら、ひたすら川を目指した。
 ヒグマの恐怖で腰が引けた友達を鼓舞しながら、ようやく釣り場に降り立った。
耳を打つ瀬音に眼を向けると、清水が岩肌を滑り落ち、陽光を照り返している。流れの中に大きな岩が横たわり、淵や深瀬を創っていた当時の渓相は、今思い出しても涎が出るほど魅力的だ。釣れそうなポイントが無尽蔵にある。
「先に竿を出しなよ。どんどん釣っていいよ。オレは後から着いて行くから」
ようやく釣りモードになった友達に、私が言った。
 その言葉に友達は、「いや、一緒の場所で釣る。一人になって、もしクマが出たらやばいから」と首を横に振る。
 仕方がないので、一緒に川を遡り、ポイントを共有して交代で竿を出すことにした。
この日は四・五メートルの振り出し式の渓流竿を使った脈釣り。餌は昆虫だ。ここは自然が豊かな渓谷なので、川岸にはバッタ、水中に川虫がたくさん居る。エサ箱を持ち歩く必要はない。
友達が竿を出している間、近くで私がバッタを採集していると、「神谷くん、きたっ。これ、デッカイよ!」と声が上がった。
 かなりの大物らしく、友達のグラスロッドは弓なりだ。
「待て、待てったら。慌てるな」
 流れの緩い場所に獲物を誘導して、一気に網ですくい上げた。
「やった! すごいや。こんなの初めてだ」
 クマにビビリまくっていたはずの友達が、満面の笑みを浮かべた。
計ってみると、ジャスト四五センチ。いきなり、このサイズが出るとは思ってもいなかった。 
私は平然を装っていたが、内心では「先にやれば良かった」と後悔しきり。
「じゃ、次はオレがやるよ」
仕掛けを振り込んでバッタが着水したとたん、私の狭量な思いを払拭する一撃が到来。水面に鼻先を出してエサをくわえたその魚は、明らかな大物だ。
「うわっ、これもデカいわ」
確信した私は慎重なやり取りで獲物を弱らせ、頃合いを見計らって網に入れた。
イワナは五〇センチオーバー。いとも簡単にサイズアップするとは。こんなことは初めてだった。
「すごい……。すごいわ。びっくりだ」背後から友達の呟やきが聞こえた。
 こうして、前代未聞の大物爆釣劇が幕を開けた。
 この日の釣りは、驚きの連続だった。ポイントを移動するたびに、必ずと言っていいほど大物が出現。サイズは、すべて四〇センチ以上で、小物はまったく出ない。あっという間にビクが満杯になった。
大物イワナの連発に狂喜乱舞した釣行。嬉しい異常事態だった。
――と、話がここまでなら、少年時代の素晴らしい釣りの体験記となるのだろうが、この話の本題は、これから語る後日談にある。
* * * *   
それから二年後の夏、高校生になった私は、ふたたびノロッペを訪れた。十六歳になってバイクの免許を取得していたので、坂が続く道中も今度は楽チン。快適なツーリングで目的地に着くと、いつも通り、林道の終点にバイクを停めて谷底へ降りて行った――。
 ノロッペの川原はあの日と同じく、無数のバッタが跳ねていた。前回の釣行と変わらぬ光景で釣り人の足跡が皆無、とくれば、好漁は約束されたも同然だ。
〈こりゃ、もらったな〉はやる気持ちを抑えて支度を整え、釣りを開始した。
ところが、期待と裏腹に私を待ち受けていたのは沈黙を続ける川だった。どこを攻めても、どんなに執拗に探っても、魚信が全くない。大物どころか、チビ一匹出やしない。ルアーを替えても毛針を使っても効果なし。最後に渓流竿を出して、餌で誘ったが結果は同じ。こんなことは今までなかった。アタリどころか気配すら感じられないとは……。
〈どういうことだ? 誰かがこの川のイワナをぜんぶ釣っちゃったのか。そんなことはあり得ない。わけが分からないや〉
念のためにもう一度確認したが、やはり誰も釣りに入った形跡がない。これまでこの川は、先行者が釣った後でも十分な釣果が得られるほど魚影が濃かった。それだけに、今日の状況は信じられない。
これは一体……。不可解な現象の答えが見つからず、私は首を傾げるばかり。 
結局、その日はボウズのまま川を後にした。この後も二度ほど釣行したが、イワナの顔を拝めなかった。
『ノロッペ』のイワナは絶滅したのだろうか。当時の私に、その謎は解けなかったのだが、後に大学で水産を研究している知人と共にふたたびノロッペを訪れ、この川から魚が消えた理由を究明した。
 
彼は川筋を隈なく歩き、一つの答えを導き出した。
イワナが釣れなくなったわけは、環境の崩壊にあると。

異変を知った当時は意識が薄くて気にも留めていなかったが、釣り場に向かう道中、林道から垣間見える川筋に幾つもコンクリートの建造物があった。それは落差の激しい堰堤。人工の堰が川を寸断したことにより、産卵場となっていた支流へ向かう道が断たれていたのだ。
産卵ができなければ、稚魚は生まれない。以前から残っていたイワナは成長するが、やがて寿命を迎える。再生産が叶わなければ、絶滅は必至。人工堰に挟まれてしまった私の釣り場は、このメカニズムで破壊されたのだ。
これで度重なる異常事態の説明がついた。中坊時代の爆釣劇は、閉鎖環境に置かれたイワナが成長して大型ばかりになっていたから。その後の釣行でボウズをくらったのは、新たな世代が生まれない状況で成魚も居なくなったというわけだ。
こうしてイワナの楽園は死の川に変貌した。少年の日に味わった大物の爆釣は川の断末魔だったのだ。
環境の変化に生命は敏感だ。フィールドが発する声に耳を傾けろ。そして驕れることなかれ、人間も生き物なのだ。

■写真データ

001・木々に包まれた深い谷の底に『ノロッペ』と呼ばれるイワナの楽園があった。

 

002・ヒグマの巣とも囁かれる秘境なので、林道も油断は禁物。

 

003・林道の終点から獣道をたどって、谷底を流れる川を目指す。

 

004・少年の日に釣り上げた大イワナ。奇跡の釣行だった。

 

005・大きな岩が転がる雄々しき川には、ポイントがたくさんある。

 

006・川底は川虫だらけ。釣りエサに困らないフィールドだ。

 

007・本流竿で久しぶりの実釣。やはり、今も魚信はない。

 

008・人工堰の下でテンカラに挑戦するが、魚の姿は見られない。

 

009・涎の出そうな好ポイントだが、ルアーに反応はない。

 

010・同じ川筋でも川改修が為されていないエリアには、今も型の良いイワナが棲息している。

 

011・エサを流したとたんに飛びついてきた元気な魚。

 

012・同じ深瀬のポイントで立て続けに三本釣れた。これはルアーに反応した個体。

 

神谷悠山 北海道旭川市在住
物心がついた頃から渓流釣りを覚え、これまでに様々な釣りを嗜んだ。その経験を生かし、メディアで釣りの魅力を紹介している作家、構成作家。得意とするのは、内水面のトラウトフィッシング。自らを欲張りな川釣り師と称し、ルアー、フライ、エサを問わず、ノンジャンルで釣りを楽しんでいる。