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【第三話 秋空の下で婚姻色を纏う渓魚】

シーズンを通して同じ魚を追いかけていると、釣れた時期や棲息域などの違いで、魚体に様々な変化が生じるのが分かる。鮭や鱒の類だと、その顕著な例が、婚姻色という産卵期の前に現れる鮮やかな体色だ。
婚姻色とは、「動物における認識色の一種で、繁殖期に出現する目立つ体色。魚類・両生類・爬虫類・鳥類などに見られる」と、広辞苑に記されている。
発情期を迎えた鮭や鱒は、その身体に彩色や模様を施して異性にアピールするのだ。
そのメタモルフォーゼは、人間の成長過程を思わせる。膝の上で眠っていた幼き少女も、いつしかメーキャップを覚えて美しい大人の女性に変身する。それは生き物にとって自然の摂理であろうが、父親にとっては微妙な感情を孕(はら)む問題だ。

      *      *      *
私には娘が一人いる。転勤族に嫁ぎ、現在は本州に住んでいるので、北海道を生活の拠点にしている私と会えるのは、せいぜい年に一、二回だ。
寂しくないと言えば嘘になるが、その気になれば、インターネットが発達したご時世なのでテレビ電話も可能だし、距離など如何様にも埋められる。元気でいるなら、それで十分。娘の幸せが一番だと思っている。
とはいえ、最初から寛大な態度だったわけではない。私も世の父親たちと同じく、娘を手放すのには抵抗があった。
              
今から何年も前のこと。その日は、朝から空に鉛色の雲が垂れ込めていて断続的に雨が降っていた。ぐずついた天気で、どうにも気分がスッキリしない。彩りを失くした天蓋は、私の憂鬱を映しているかのようだった。
もう時効だろうから、この時の気持ちを正直に告白しよう。心を曇らせていたのは天気じゃない。その日の夜に予定されていた娘の交際相手との顔合わせだったのだ。
「お父さん、何時なら都合がいいの? あのね、いい加減にしてくれないと、ホント、困るんだけどーー」居間で朝刊の記事に眼を通していた私に娘が言った。
私は出来るだけ時間をかけて新聞を読んでいたのだが、それでも娘がその場を離れようとしないので、諦めて重たい口を開いた。
「ああ、そうか……。その話ね。うーん、今日も忙しくてさ。しばらく駄目かもしれないな」
「会う気がないんでしょ! 彼に失礼だから、ちゃんとしてよ」
無言で書斎に引きこもろうとする私の背中に向けて娘が語気を荒げた。
「それなら勝手に進めるからね!」そのひと言は、切っ先鋭い槍のように心を突き刺した。
あとは双方、意地の張り合い。娘は私を通り越して祖父母を味方に付け、どんどん縁談を進める始末。私は、そんな娘の態度が気にくわなかったこともあり、相手の両親と顔を合わせる日が近づいても態度を軟化させることはなかった。大人げないと分かっていても、今さら物分かりのよい父にはなれないし、作り笑顔でその場をとり繕う自信もないからだ。
一時は持久戦の様相を呈した縁談話だが、時間の経過と共に私の陣営に綻びが生じた。祖父母たちだけではなく、いつのまにか息子たちも娘の側についていて気づけば家族全員が娘の味方。もはや敗戦は濃厚だ。という次第で、あとは私が向こうの親御さんと面談するだけの段取りになっていた。
なので、ここから先の話は最後の抵抗とでも言うべきか。

それから一週間後、双方の家族が面談する日の前日。私が居間で珈琲を愉しんでいると、娘がふいを突いた。
「顔合わせは明日の夕方だから。場所は、皆で相談してこの料亭に決めたの。絶対に来てね」
「え、なんだ、その言い方。それ、勝手に決めたんだろう」
「だって、そうでもしなきゃ、進まなかったでしょ」
「知らんぞ、そんなの知らん」
私がどんなに抗っても、とりつくしまもない。
「駄目だからね。絶対に来てね」

それだけ言い残し、娘は居間を出て行った。

外堀は完全に埋まっているので、娘はまったく引く気なし。
チェックメイト。この結婚話は、父親である私が知らぬ間に最終局面を迎えていたのだ。
*        *        *
翌日の早朝、私は誰にも告げずに自宅を後にし、ホームの川へ向けて愛車のハンドルを切った。行先は本流筋の上流域。渓流魚の五目釣りが楽しめるフィールドだ。
一時間ほどで釣り場に到着。支度を整えて川に降りてみると、先行者は皆無。これなら、のんびりと釣りができそうだ。
今日は娘との約束事から逃亡を図ったわけで釣果はどうでもよかったのだが、ノッケから絶好調。ここぞと思うポイントでは、必ずと言っていいほど良型のイワナやニジマスが飛び出してくる。ぐずついた天候が味方したのか、はたまた無欲の勝利か。釣りとは得てしてこんなものだ。
〈空蝉(うつせみ)の雑事から川に逃げて来ただけなのに、こんなに釣れるなんて、皮肉なもんだ。まあ、でも、そうそうあることじゃない。楽しむとするか〉

理由はともかく、魚が釣れれば釣り師は我を忘れる。夢中になって竿を振り続けているうちに、頭の中に立ち込めていた重たい雲が消えて心が晴れていった。もう、俗世の悩みなど、どうでもいい。「釣り」以外の感情は、すべて川に流れてしまったようだ。 
その後も勢いは衰えることなく、次々と水面に渓流魚が躍る。そして気づけば、次の淵が最終ポイントだ。ここから両岸が切り立った崖のゴルジュが続くので先には進めない。腕時計に眼を落すと、お昼時になっていた。楽しい時間はあっという間に過ぎる。時間が伸び縮みする釣りの相対性理論だ。
〈久々に好い釣りができた。なごり惜しいが、仕方ない。ここで有終の美を飾るとしよう〉

期待を込めて、大ぶりのクロカワ虫を針に刺した。振込を始めて三投目、流れ込みの頭からエサを通し、白泡が消える辺りで目印が横に揺れた。
アワセを入れると、獲物はグングンと二度、首を振った。
〈イワナかな。型はそれほどでもなさそうだが、いい手応えだ〉
ラインにテンションを加えると走り出したので、いなして弱らせ、頃合いを見て抜き上げた。掛かっていたのは、二五センチほどのオショロコマだった。

鮮やかなブルーの背色、側部はオレンジのグラデーションが掛かり、全身にバランスの良い配置で赤と白の斑点が散りばめられている。見惚れるほど美しい魚体だ。
「婚姻色か……。そういえば、もうすぐオショロコマの産卵期だもんな」

渓流魚は産卵の時期になると、異性を惹きつけるために美しい色を纏う。なかでもオショロコマの婚姻色は格別だ。普段とは異なる渓魚の彩りに眼を奪われた私に、ある感情が湧き起こった。
「そうだよな。娘もコイツと同じ。もう大人の女性なんだ……。いつの間にか化粧するようになって、綺麗になって、好きな相手を見つけたのか」

オショロコマを弱らせないように丁重に扱い、ふたたび川に放った。
去っていく魚を見守っていた私の頭上で甲高い鳴き声が響いた。見上げると天空を覆っていた雲は消えていて、谷の間から覗く青空に鳶(トンビ)が輪を描いていた。
「秋の空は高いなぁ。吸い込まれそうだ。さて、帰るとするか。今日は、向こうの親と顔合わせだしな」
渓魚が、頑固な私を諭してくれたのかもしれない。子供が成長するのは当たり前で、時間が止まっていたのは私なのだ。何故か素直に受け入れられた。

ゆく川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。淀みに浮かぶ泡沫(うたかた)は、かつ消えかつ結びて、久しく留まりたるためしなし。
鴨長明が記した方丈記の古文が心に染み入る。
人生は川と同じ、絶えず流れて留まることはないのだ。

 

■写真データ 

ホームの川の上流域にやって来た。ここは渓流の五目釣りが出来るフィールドだ。


エサをくわえて跳ねるニジマス。この日は魚の活性がすこぶる高かった。                      


トルクがあるエゾイワナの引きは最高だ。


季節は夏と秋の狭間。軽くサビが入り出したヤマメは陶器のような味わいがある。


北海道の固有種オショロコマは、可憐で美しい川の宝石だ。


産卵期のオショロコマ。婚姻色を纏った個体が、雌を取り囲む。


鮮やかなブルー背色、赤と白の斑点が散りばめられた体側、腹部をオレンジのグラデーションが装飾する。完璧な美しさを誇る婚姻色だ。


高く澄んだ青空に鳶が輪を描く。この空と同じく、心を覆っていた暗雲も消え失せた。

 

神谷悠山 北海道旭川市在住
物心がついた頃から渓流釣りを覚え、これまでに様々な釣りを嗜んだ。その経験を生かし、メディアで釣りの魅力を紹介している作家、構成作家。得意とするのは、内水面のトラウトフィッシング。自らを欲張りな川釣り師と称し、ルアー、フライ、エサを問わず、ノンジャンルで釣りを楽しんでいる。